万年筆を手にとったところ、面白い気づきを得た話
はじめに
久しぶりのブログです。
最近ハイキューを結構な頻度で読み返していて、
ハイキューという作品が
「如何に私の心を震わせたのか、そうさせる要素とは何か」
について記事を一本書こうと思ってましたが、
気づいたら万年筆を購入していて、使ってみてどんな感じだったかについて
書き連ねた記事が出来上がってしまいました。許して。
ハイキューの記事はいずれ書きます。
万年筆購入の経緯
話はまず昨年末に遡ります。
ある方に年賀状を出すことになり、ハガキを買って年始の挨拶を書いておりました。
書き上がりチェックしてみたところ唖然・・・
「前から知ってたとはいえ、俺の字汚すぎる・・・(ドン引き)」
これは大人として恥ずかしいと思い、急いでキレイな字を書くための練習帳を購入。
・・・するも、6月まで放置してました。
そんな感じで練習帳やテキストを購入したことを遠い記憶の彼方へ
おいてきてしまっていた私の下に、
一つのバズツイが飛び込んできます。
字が汚いけど万年筆買って良かったって話。(1/3) pic.twitter.com/MeeloXnmuK
— いくたはな🖋漫画家 (@suitondiary) 2021年6月12日
「自分の字が生まれる感覚」「自分の字のコンプレックスが化ける」
というのが気になり(というかんなわけねーだろというムカつき)、
そして以前購入したテキストや練習帳と自分の書いた年賀状を見た時の
恥ずかしさがフラッシュバックし、衝動的に購入するに至りました・・・
「果たして自分の字が生まれる感覚を得たり、自分の字のコンプレックスが
化けるなどということが自分にも起きるのか確かめてみよう・・・」
字を書くのに気を遣い始めた
購入したのは友人に勧められたLAMYの万年筆。
まあまず最初にインクを出すことに苦戦しました。
「あ゛ァっ?!出ねえんだけど?!!(半ギレ)」
Youtubeで万年筆での字の書き方を視聴し、インクを出すことに成功。
インクを出すコツを掴んだあとは結構簡単で、書き味も結構なめらかだなという印象。
しかし字が汚いのは相変わらず(当たり前)。自分の字のコンプレックスが化けるなどということはありませんでした。
多分書き手の感受性の問題では・・・w
万年筆で字を書くと液感というかペン先から液体が放出される感覚があり、
その放出される液体をペン先を上手く操作することで制御するという明らかにボールペンや筆ペンで字を書くのとは違う体験が得られました。
操作感はボールペンに近いものの、出力される字は筆で書いたような
ごまかしの効かないものが紙面に描き出されるので、感覚的には「字を書いてる」というよりも「絵を描いてる」ような感触があります。
それ故に、
「この線はまっすぐビシッと引こう」
「ここの払いは箒で払うようにしたほうが良さそう」
「コンパクトにまとめると全体的な見栄えが良くなりそう」
というボールペンや鉛筆で字を書く際には起こらなかった前段の思考が生まれていきます。
この感覚は非常に面白く、「もしかしたら『字が生まれる感じ』というのはこういうことなのかもしれない」と思い、字を書く(描く)面白さに触れたような心地がしました。
字を書くのがうまくなりたいという話
とかなんとか、色々賢しらに述べたもののやはりボールペンで書いたときと字の汚さは変わらず。。。
これでは昨年末感じた羞恥を今年の年末も味わうことになってしまう・・・
字が、字がうまくなりたいです、安西先生。。
万年筆で字を書く時は必要以上に力を入れないという点以外は特にボールペンや鉛筆で書いてる時と変わらない操作を行っているので、
「そもそもボールペンや鉛筆で書いた字が汚けりゃ万年筆で書くときも同様に汚い字になるのでは」
という仮説が自分の中で浮かび上がりました。
そのため、まずは購入したテキストをボールペンでこなして上達を図り、
そこからまた万年筆を試してみるという方向で仮説の検証をしようと思います。
終わりに
今回万年筆を購入して使用してみた結果、
1.「自分の字のコンプレックスが消える」
2.「自分の字が生まれる感覚」
の内の1番目については、「全然そんなことなかったわ」となり、2番目については「あー、そんな感じする(納得)」となりました。
「字のトレーニングを続けていき、この続編を記事にするのも面白いかもしれない・・・」
と思い始めていますが、
正直字を書くトレーニングよりも仕事のスキル習得とか仕事に関連する技術についての勉強のほうが優先される(しないとおそらく死ぬ)ため、果たしてこれの続編があるのか?そもそも字のトレーニングする余裕あるぅ??となるなどしてます。
まあ、乞うご期待!!ということで。
それではまた次回、
「ハイキューの良さについてオタク語りをする記事」
でお会いしましょう。
その日まで、あなたがどこかで面白い気づきを得られる日が訪れますように。